道の救いを何れ程のものかを示すも汝なり

三天主考 令和6年1月5日
  
  光満ちたるも 開かざれば外へと発さず
  神国に救いの光は満ち 門戸は大きく開かれたり
  自らの心を開きて 道の救いを世に発すべし

 大道は一切を救い、萬物萬霊に通ずるものなり。一切は道の理に収められ、道の救いに由りて化するものなり。道は大開され、更に其の事が大きく打ち出される事となるなり。一切を含む故に、善なる面を見る事も出来、又反対なる部分を垣間見る場合もあり。救いを求めし者の深き因業や病魔、四生因縁等が其れに当たるなり。救いの道なるが故に苦しみも又表れるなり。災いの因も時として形へと生ずるなり。
 開かれし道に何を見せるや。其れを制するが救世主たる者達であるなり。救いを求める者に対し、適したる救いの術を示し、授けられるが汝等なり。道の中にありし数多の救いの法を駆使し、其の者に最も良き光を以て照らし、其の者が道を歩むに最適なる方法を示すべし。
 自らの心が真に開かず、狭き門や狭き考えにあれば、柔軟なる道の救い、千変萬化して相手を導く術を与えられず。神国大開に合わせ、自らの心も大いに開きて陽氣を満たし、発し行くを要すなり。楽しき道を示すも汝、厳しさを示すも汝、道の救いが何れ程のものかを示すも汝なり。道開きて苦しみの因縁を融かす救いの陽氣を大いに出すべし。