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道に対する誠や信念 道の目的に向かう大志が今當に求められん

三天主考 令和7年8月29日   何を思いて日々を過ごすや   何を願いて道を行ずや   其の心は未来に繋がりて 救いを開くものとならんや   日々の自らの姿勢を正し 救いたい其の想いを定むべし  救いが大開せども、道は得難く有り難きものなり。此の事を忘れれ ば、道の本 質を失う事にも繋がるなり。道を行じる事能うは最も尊き行いなり 。然れど、何 れ程に其の有り難さを感じ乍ら道を歩みて居るであろうや。救いを 伝え導く事が、 何れ程に素晴らしき事であるかを見失いては居るまいや。  日々の行道に如何なる思いで接し、何を目指して為したるや。為す べき事に忙 殺されて、道の本来の目的が見えなくなれば、何の為の行道か分か らなくなるな り。  如何なる思いで道に集い、道を行ずや。其の根本は折に触れて大切 に温め、思 い返し、信として高め育てて行かねばならぬなり。又、如何なる願 いを持ちて道 にありや。全てを救わんとする其の志が深ければ、日々の己れの生 き様や道に向 かう姿勢、道の未来を拓かんとする力として出て来る筈であるなり 。道を代表し、 世に道を明らかに顕さんとするなれば、其の志が大いに問われる處 となるなり。  道に対する誠や信念、道の目的に向かう大志が今當に求められん。 其の力が時 代を拓き、人霊を導き神国を創造す。常に自らを反省し、あるべき 姿へと整え、 道を世に現すべし。

人生は学びの場 霊を磨く場なり

三天主考 令和7年8月22日   学びを得れば 己が身となり    新たなる志となり 次なる一歩とならん   己れは何を学び 何を得て   何を為し行く者とならんや   日々道より其の糧を得て 成長すべし  人生は学びの場であり、霊を磨く場なり。故に日々何かを学び、霊の成長を得る事が求められるなり。漫然と生きて居れば機会を失い、貴重なる時を無駄にする事となるなり。 自らは、今に至る迄に如何なる生き方を為し、何を学びて己れの生き様と為したるや。様々なる無駄や失敗と思われる事もあるであろう。然れど今の己れに至るに、必要なる事でありたる場合多し。今の己れの土台となりて居る事に違いは無し。  過去を振り返りて反省し、新たなる前進へと繋げるなれば、成長の糧となるであろう。然れど失敗を何度も繰り返すも、成長無く前進出来ねば、何時迄経つとも本当の目的へと進む事は出来ぬなり。  道の中に様々なる学びや悟りあり、貴重なる経験あり。其れ等を得て自らは何の様に変化し、成長する事が出来たるや。真に得るべきものを得て、進むべき歩を踏み出したるや。学びの場を大いに生かし、積徳の場、伝道の機、救霊の道運を更に大きなものと為すべし。  道に生かされるべきは、夫れ夫れが学び得た果であるなり。其れ等が集まりて皆の刺激となり、成長の更なる学びとなりて周流せば、更に大きな積徳滅業の循環となり行かん。大道に、更に智仁勇を集め、未来を拓くべし。

道を歩むは一人に無し

三天主考 令和7年8月12日     聖業は困難なれど 道を歩む心は明るし  自らが見せる天道は   困難なる道なるや 明るき道なるや  今神国伝道にありて 凡ゆる困難の壁を破るべし  様々なる難を乗り越えて道に出會いたり。道を得ては又、様々なる難に向き合わねばならぬなり。末世の難然り、自らの因縁因果然り。行道に於ける様々な試練然り。道を歩み道運を開きて、多くの難を是れ迄に乗り越え、克服して来た道の歴史あり。其の中で自らは何を得たるや。自らの因縁は何れ程解消出来たるや。  様々なる試練に由りて己れは何れ程磨かれ、成長を成して来る事が出来たであろうや。未だ道の途中にありて、夫れ夫れに課せられしものもあるであろう。様々なる苦や試練の中、己れは如何なる姿にて如何なる道を発して居るであろうや。  道の厳しさや難しさが前面に出れば、険しき道、歩み難き道が伝わる事となるなり。困難に打ち克ち試練を乗り越え、因縁を解消し成長したる己れの姿を見せる事能うなれば、道の素晴らしさ、救いの如何なるかを示す事能うなり。當に今、其の陽の氣が更に求められて居るなり。  憧れの神国人である為に更に自らを修め、成長し行くを要すなり。困難あれば互いに助け合い、苦あらば其の元より救い導く頼母(たのも)しき同志であるべし。道を歩むは一人に無し。共に歩みて凡ゆる難を幸福に変えるべし。

節目を越え次なる段階 更なる成長を共に得るべし

三天主考 令和7年8月8日   山を登りて 其の先に続く道あり   節目を乗り越えて 成長する姿あり   道の一つ一つの山場を通じて   如何なるものを得る事能うや   如何なる成長を遂げる事能うや  天道の行事の内、護摩壇は誠に大きな意味を含み、天道を外へと表すに重要なる位置を占めるなり。様々なる人霊が集いて護摩を如何に感じ、天道を如何に得る事とならんや。   同じ炎なれども、見る者に由りて、其の感じ方は違うなり。或る者は救いを感じ、安らぎを感ず。或る者には滅業を感じ、又、或る者には畏怖を感じ、自らを正す場ともならん。又、或る者は祭りを楽しみ、或る者は中に入る事も出来ず、外から眺め乍らも、其の光を頂くなり。  護摩壇には、様々なる人霊の祈りや願い、欲望、欲念も混り合い乍ら、天命の許で夫れ夫れの段階に応じた御蔭を得る事が叶うなり。  陰徳を高める人霊もあれば、陽徳なる御蔭を貰う者もあり。様々なる気質や段階の人霊が集う場にありて、道は如何なるものを与え、其れ等を導かんや。  大道は無限の器なり。無限の救いなり。中心天命の光を目指す其の導きを施すべし。次なる段階、更なる成長を共に得るべし。  護摩供を通じて、夫れ夫れ得られしものを糧として、更なる道の歩みを為すを要すなり。故に其の力を得るべし。道の救いは汝等を成長させ、昇霊させ、道の更なる未来へと誘うものなり。節目を越え、更に高き信を持ちて、共に道を歩み行くべし。

得道したるとは言え、伝道未だ終わらず

三天主考 令和7年8月1日   伝道は道を伝える事   得道に導けば 伝道は完了と言えるや   道を伝えるは誠に奥深き事   実の感動感化を以て 或いは研参を通じて   道を更に伝え 学び 皆のものとすべし  得道は究極の救いであり、其處へと導くは行道者の悲願とも言えるものなり。然れど、得道を目指し、得道に導きて、其れで目標を達成し満足してはならず。道を伝える事が出来たるは幸いの極みなり。然れど、道の如何なる部分を伝え又、相手は道の真の大事さを如何程得られたであろうか。  道を歩みし道親達も如何程の道を得て、其れを伝える事が出来て居るであろうか。道の素晴らしさを伝えるなれば、其處より行道の志が生まれる事も多し。更に道の奥が伝わるなれば、其處より強固なる信念が生まれる事となるであろう。  道を如何なる時も己れに宿し、己れを通して伝え導き続けるべし。得道したるとは言え、伝道未だ終わらず。道を共に歩みてこそ得られ分かち合い、更に知る領域あり。道のやり甲斐、生き甲斐を得たる者達よ、其れを如何にして伝え、導く事が出来るであろうか。己れが得し感動の一切を、如何にして与える事が出来るであろうか。  素晴らしき故にと押し付けるとも、逆効果となる事多し。人を導き感化させるは簡単では無き事多し。然れど道は深し。凡ゆる角度より萬霊を包む程の力有り。其の道を自らに得て、凡ゆる人霊へと及ぼす者達となるべし。