道にありし者達は決して凡人に非ず

三天主考 令和7年1月10日

  器を超えるものを容れる事は出来ぬが常なれど
  天道の聖業は器以上の事を
  為さねばならぬが常であるなり
  其れ故に 夫れ夫れに求められる處は大きく
  其の段階一つ一つを上がる事に由りて
  得られる成長は大きなものなり

 天道の聖業は凡(およ)そ凡人には考えも付かず、出来る事では無きなり。凡人の心であれば天命の職を担う事も不可能なり。力無き個々とは言うものの、道にありし者達は決して凡人に非ず。其の域を超えて本来持てる器以上の事を為し更に様々なる段階や、試練を乗り越えて格を向上させて居るなり。
 道の救いは當に聖の極みと言うべきなり。其れを為さんとするに心が凡人の如くありてはならず。汝等は自らの限界を超え、壁を破りて大いなる命の許にあるなり。先ず得道、是れに由りて最高なる救いを授かりたり。自覚ある者は救われし事を知りて、己れの段階を大きく上げるなり。然れど自覚が無ければ心も器も凡人の域を出ず。自覚が己れを大きく変えるなり。
 人格や品格は己れをしても如何ともし難き部分あれど、全ては自覚に由りて変えられるものなり。霊格是れ然り。己れの日々の悟りや其れに由る成長が救世主の器を育て行くなり。肉体を持つ有限の者の考えより、更に聖なる域へ更に大志を高め行くべし。又其の感化を以て人霊を導くべし。大道の器も限り無きものと広がりて、多くを受け入れるものとならん。