道を伝えるは感動を与え 感化を及ぼす事なり

三天主考 令和7年3月25日


  救いは霊心体に得られるものなり
  其の救いを霊心体にて感ずべし
  得られし幸も感じねば 無きに同じなり
  道を伝えるは感動を与え 感化を及ぼす事なり

 得られし宝も人の感じ方に由りて、大小の差を生ずるなり。得道の絶対なる救いを得て、何を感じ、己れが如何に変わる事が出来たであろうや。行道を志し道を熱心に歩む者は、道より得たる様々なる宝を真のものと為して居る事であろう。素晴らしき道の恩恵を受けるも、是れを己れのものと出来ずは、道の大いなる救いを得るとも、是れを知らぬに同じなり。
 霊にて得るも心に響かず、心開かれずして道の感動を得られず。又、形象に現れぬ為に知り難き者もあるやも知れず。道を伝えるとは誠に奥深き事であるなり。其の時に如何なる感化を及ぼす事能うや、感動を生む事能うや。
 自らも又、日々の行道の中で如何なるものを得て、自らを感動感化する事が出来たるや。是れを生ずる者と生じない者とでは、道で得られる幸福感は天地の如し。自らに其の心の豊かさ無ければ、其れを他へと伝える事も又難し。
 神国伝道にて伝え渡(わた)すべきものは多し。神国を伝える自らとなる様、更に道を己れのものとすべし。