神国を見せるは救いを見せる事

 三天主考  令和7年9月9日


  救われし霊性は何處にありや
  己れの内にありて 本性としての光を外へと放つや
  将又(はたまた)魂魄に覆われて閉ざされるや
  道を得て 覚醒したる己れを以て救いを証すべし

 世は末難にして、象の世にありて其の影響より免(まぬが)れる事は出来ず。魔や様々なる負の因縁は己れを心の平安より遠く離れさせ、天縁を薄くするものとなり行かん。
 道を得れば霊は理天に直結したるも同然なれども、其の事を如何程の者が実感し、日々を生きて居るであろうか。其の心に救われし霊の喜びは溢れるや。真なる幸福は躍動するや。魂魄の生ずる負なる力や感情に由りて、覆い隠されては居らぬなりや。
 道を得し者と未だ得ぬ者の間には天地の開きがあるなり。然れど、是れ外から見て、仲々に見え難く感じられ難し。見える者丈が見えれば良きや。自らの光を何時迄も封印しておく事で良しとする勿れ。神国を見せるは救いを見せる事にして、自らを如何に為し見せて行くかが重要となるなり。
 見えざる霊、其の光を映す心を大開すべし。其の心を以て道を行じ、救いを為し行く己れを大動させるべし。己れは道の光、其の救いの光を宿す者なり。外から見て道と分かる者となるべし。
 徳を為し自らを修め、悪因を為さず和し、他者を思い遣り、正しき人の道を以て救いの道を明らかと為すべし。道を得たる者として相応しき言行の者となり、道の光を憧れのものと高め行く事が益々求められん。